2010年2月 | ||
2010.02.03 10:23 AM
この前、編集の人と飲んでてアートってなんだろうね?みたいな話になったのね。 美しいものだけがアートってわけじゃないし、上手なものだけがアートってわけじゃないし、 で、その時出た話で「なるほどなー」と思ったのは、「アートは外側からくるもの」みたいな説。 諸事情ってのは、コストのことだったり、技術の限界だったり、政治体制によって制限された表現だったり、世の中の常識だったり、そういうモノをつくる上で配慮を強いられる全てのものね。 だからアートは僕たちに驚きを与えてくれる。 こんなふうに書くと「そんな諸事情から切り離されたものなんてこの世に存在しないじゃん。アートなんてこの世にないじゃん」てなるよね。 あるとしたら「アート的な要素」だけだ。そしてそれぞれの作品にアート的な要素の濃度の差がある。 でまぁなぜこんなことを考えることになったか、というと、シュールとか言われるある種のギャグ漫画にボクはこの清々しさを濃く感じるんだね。戦車さん、天久さん、とりさん、長尾さん…… その時、気がついたのね。それらのギャグ漫画家の元は赤塚不二夫だと思ってたけど、もっと元をたどればデュシャンの「泉」にたどりつくでしょ。トイレに署名した「泉」はオーダーメイドのアート化とかなんとか難しく言われるけど、あれはギャグでだよね。ギャグ漫画と「泉」は同じ清々しい匂いがするでしょ… あーなんか清々しい漫画描きたいなー、別にギャグでなくてもいいけど、全ての諸事情から解き放たれたような、そのあまりの自由さに目が覚めるような漫画… とかなんとかそんなことを夜中まで飲んで話してたのでした。 |