二月である。
節分である。
しかし節分、だれが作ったか知らないが便利だね!
一年を正月や節分で分けなかったら日時はダラダラと流れ「今いつだっけ?」「さぁ?」なんて、
人の生活はなんともしまらないものになってただろう。
分けるって便利だ。
犬と猫を分け、その犬を柴犬やシェパードに分け、名前をつけて隣の犬と自分の犬とを分ける。
分けたらそれを並べる。大きい順、名前順、…確かに分けて並べればいろんなことがスムーズになる。
しかし人間のこの整理好きにはもっと本能に近い何かを感じるね。
例えば満天の星、きれいだなーと眺めてるだけじゃすまない。あれはさそり座、あれははくちょう座とご丁寧にお話まで添えて整理する。軽く便利を超えてる。
そして粘土だ。あのグニャグニャの粘土を目の前に置かれて無視できる人は少ないだろう。
たいていの人は何かを作ってしまう。ゴロゴロとのばしてひもにする人、器用に壷なんか作る人。なぜだ!?
なぜ頼んでもないのに何か作る?
…きっと人は本能的に何かを曖昧なまま置いておけないんだろうね。
それが人間の発見、創造の源かもしれない。
だけどこの本能が、分けて並べて、そこに優先順位や価値づけをしだして、一歩間違うと…「差別」まであと少し。
よくよく気をつけないとね。
中日新聞 夕刊 2020.2.3 掲載