2021年3月 | ||
2021.03.29 12:00 PM
外出を控え、家でスマートフォンをいじってると九年前を思い出す。
原発事故の後、何がどうなってるのか心配で不安で、ツイッターで必死に手掛かりを探していた。
あの時はそんな中から何人かの信頼できそうな方たちに出会い、実際に福島でガイガーカウンターで放射線を計測するようなイベントに参加し、理解が進んで不安も減った。
そう、自分にとってこの世界の出来事は、無数のピースでできたジグソーパズルのようなもので、いろんな人のいろんな情報で組み立てられてゆく。 もちろんどのピースも完璧ではなくて、それぞれの凸凹を補いながら大きな完成図を想像するしかない。 そんな時に大切なのがジグソーパズルの端っこのピースのように、それを見つけると全体が組み立てやすくなるような専門家の情報だ。 九年前、自分にとっては何人かの信頼できる物理学者の方たちの情報がとても重要なピースだった。 そして今、あの時と同じように新型コロナウイルスのパズルの重要なピースをツイッターの中で探している。 まだまだ完成予想図には遠いけど、労を惜しまず発信してくれる医療関係の専門家の方たちの情報を頼りに、この疫病の行く先を、そこで自分は何をすべきかを探っている。専門家の皆さん、がんばってください! そして願わくば、完成するパズルがまずまずのものでありますように。 中日新聞 夕刊 2020.3. 23 掲載
2021.03.22 12:00 PM
もう三十年以上前、弟の原作で「拍手貯金」というマンガを描いたのを思い出した。
主人公はしがないサラリーマンで、なにかと言うとすぐ拍手をする。 誰かにおめでたいことがあった時、誰かが頑張った時、とにかくちょっとしたことで人に拍手を送る。 そんな主人公が死ぬ時、誰もいないはずの病室に、今まで何十年にもわたって人に送った何倍もの拍手が、保険の満期のように男に還ってきて鳴り響くというようなマンガだった。 人が生きてゆくご褒美は、いろいろあって、その中の大切な一つが拍手じゃないかと思ったのだ。 思うに、人間は生まれる時に「母」という「世界」から切り離される。だからもう一度、「世界」と一体になりたいと願っている。 一体になれた!受け入れられた!と感じられるのが、愛であり尊敬であり喝采の「拍手」じゃないかと思うのだ。 だから拍手をもらうことは、生きる喜びに直接的につながってて、お金を通さない喜びの物々交換みたいなものだ。 ボクの経験上、拍手をもらう機会の多い役者さんやミュージシャンは、そんな喜びの源泉がはっきりしてて自分に正直でステキな方が多い。そしてまた生き様や芸術で多くの人に喜びを与える。 今、そんな方たちがコロナでピンチだ。 早く収まって皆が「貯めた」エネルギーを爆発させるステージを観てみたい。 中日新聞 夕刊 2020.3.16 掲載
2021.03.15 12:00 PM
コロナウイルスめー!
ちっぽけなウイルス野郎に人間様が振り回されて、トイレットペーパー買い占めたり政治家がオタオタしたりで悔しいよ。 この原稿が出るころは専門家が提言した勝負どころの真っ最中かな。 感染がこのまま増えていくのかある程度抑えられるのかドキドキする。 どうかおさまりますように! しかし日本に比べ周りの国の対応スゴくない? 町を封鎖したりやたら検査したりいきなり病院建てたり。 行動は早いけど荒っぽい気もする。 自分はここでもしかしたらこれが「若さ」なのかもしれないなどと思うんだよね。 傍目から見て無茶に見えるような行動、それって「若さ」でしょ。 物事に慎重になるのは失敗を恐れるから。 拙速がOKなのは、失敗つまり無駄にできるほどお金や体力に余裕があるということ。 そして想定外の状況にはそちらの方が結果的にうまく対応できるのかもしれない。 その点お金にも体力にも余裕がないわが国はちゃんと効果を見極めて賢く冷静に対応していかなくてはならんのじゃ(おじいさん言葉になってきた…)。 だけど、そんな年寄りジャパンが若返れる可能性があるぞい。 イベントが中止になって、部屋にこもってる若者は多いはず。わはは! コロナで一挙に子どもが増えて、ニッポンが若返るのじゃ!! 中日新聞 夕刊 2020.3.9 掲載
2021.03.08 12:00 PM
アイススケートの季節だ。
テレビをつけると選手がまぁ気持ちよさそうに滑ってる。 なめらかな滑りはキモチいい。 そう、摩擦を感じないってキモチがいい。 なんつったってボクは摩擦が苦手だ。 皆に意見の食い違いがなくニコニコ、ツルツルと物事が進んでいかないとストレスになる。 だけど最近、自分みたいな人間が多いせいか必要な摩擦まで避けられているような気がしてならないんだよなー。 空気を読んだり気配りしたり忖度したり、摩擦を避ける技術ばかりが発達して本来必要な摩擦までが避けられてないだろうか? 物事を動かそうとすると必ず摩擦が起こる。なのにそれを嫌ってはなから物事を動かそうとしない。 何かを動かすためには諍いや口喧嘩、なんだったら取っ組み合いのケンカくらいの摩擦は平気にならないといけないのかもしれない。だってさ、 この変化の時代に動かないってのは、どこかにたわみがたまっていつか大地震がおこるってことかもよ。 ツルツルはダメ、カモンザラザラ! でもってさらに怖いのは何かの拍子で動きだしてから。 摩擦がなけりゃ、ツルツル滑る石鹸のように止まらない。 ヘタしたら闇の中にまっさかさまだ。 スケートはないけど夏のオリンピック、どこに滑っていくのかちょっとコワイ。 中日新聞 夕刊 2020.3.2 掲載
2021.03.01 12:00 PM
先週バレンタインデーなどというものがあって、
「自分は糖尿だから女の子も気を使ってチョコくれないのだろうな…」 などと負け惜しみめいたことを考えていた。 自分はどうにも昔から「恋愛」というのが苦手だ。 いきなりだがあれはいったい何だ? 異性に対して何がしかの衝動を覚えるというのは生物全般に見られる現象だが、 特定の人物に対してのみ、あのように激しくやるせない感情が発生するなんてワケが分からない。 どうせまた脳の仕業だろうけどな、脳のどこかにピンクの汁がじゅるっと染み出るに違いない。 なぜそんなものが出る?
周到な準備なんてない、いきなり偶然だ。自分の意志で相手を選べない。 こっちにはこっちの予定があるのにいきなりその人中心に世界が回り始める。 他の大切なことが全部上の空だ。 いったいどうしてくれるんだ!! …でもなー、そこがいいのかなー。誰もが予定通りに物事が進むことを望み、想定外のことに神経をとがらす毎日。 そんな中でいきなりじゅるっと予定にない恋愛が訪れ、 じゅるっと想像以上の感情の嵐、じゅるっと想定外の世界に連れ去られてしまう。 いやまぁいいことばかりじゃないけどさ。あー、誰か人工ピンクの汁を開発しないかな? 完成したらボクは毎朝一杯それを飲んででかけよう。てゆーかバレンタインにそれをください(笑)。 中日新聞 夕刊 2020.2.17 掲載
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