2021年4月 | ||
2021.04.26 12:00 PM
最近は家に籠ってて、不安を紛らわすためかついゲームをすることが多い。
若いころよくロールプレイングゲーム(RPG)やったなー。三十年以上前、ドラクエに出会った時、こんなものがあるのかとビックリした。なぜこんなに面白いんだろう? その時まず考えたのは、RPGの仕組みが現実を程よくシミュレートしていることだった。 敵を倒し経験値とお金を稼ぎ、高いお金を出すほど強い武器が手に入り、体力が減れば宿屋で回復する。 全ての現実のひな型のように思えたのだ。
だけどゲームは現実よりもさらに面白かった。何故? その都度与えられる明確な目的。それを達成するためのコストと報酬のバランス。 世界は平等で明らかなルールに支配されていて理不尽な差別や運の偏りなどない。僧侶や戦士などの多様な個性。 そして最後に意外性と納得性のバランスがとれた結末。 ゲームには現実には望めないシアワセの要素がつまってたのだ。 だからボクはあの頃ゲームが現実を追うのではなく、現実がゲームに学べば良いと思っていた。そうすれば現実がゲームのように生きててワクワクする世界になるんじゃないか…!昔そんなことを考えてたことをピコピコしながら思い出した。 そういえば今世界を覆う災厄は、まるでゲームのオープニングのようだ。 どこかで世界を救う勇者が生まれているかもしれない。 中日新聞 夕刊 2020.4.20 掲載
2021.04.19 12:00 PM
この原稿を書いているのが六日、原稿が載る日にはすでにいくつかの都市は緊急事態宣言が出た後だろう。
閉じた生活の始まり。 しかしここ数年壁とか分断とか人と人を遮断するような話が多かったけど、コロナはまるでその総仕上げみたいだな。 いやもう仕事にならずこもってる人も社会を守るために働いてる人も本当に大変だと思う。 でもいつか必ずこのパンデミック(世界的大流行)は終息し、人々は再びドアを開け、外に出てゆく。 人と人も国と国もまた手を取りあいつながりを取り戻す日が必ず来る。 でもドアを開けてそこに見る世界は今までの世界とは違うかもしれない。 今まであった職業が消え聞いたこともない職業が現れてるかもしれない。今までの価値や権威が新しいものに変わってるかもしれない。 そのためにもドアを閉じてる今こそ他の全てを開いておかないといけないと思う。 新しい技術や未来の可能性に目を開く、違う意見に心を開く、政府はお財布を開いて未来を生きてゆく人間を救わなければならない。 何より、自分が本当は何を欲しているのか? このままで良いのか? 閉じることを余儀なくされている時間は、自分自身に心を開く良いチャンスかもしれない。 そういえば一年前、どんな元号が良いか取材されて答えたのが「令和」ならぬ「全開」だった。 一年前が大昔のようだな。 中日新聞 夕刊 2020.4.13 掲載
2021.04.12 12:00 PM
この前、あいちトリエンナーレの補助金不交付が決着したね。しかしあの騒ぎにはビックリしたなー。
一番ビックリしたのは「不快なものを見せるな」という意見が多かったこと。 あくまで自分の個人的なとらえ方だけど、ボクは美術館のこと「サファリ」だと思ってた。 つまりできるだけ野生のままを観る体験。 昔アフリカに行った時、なだらかなサバンナのそこかしこにヌーの死体が転がっていた。だけど誰も不快だから取り除けとは言わないだろう、それがありのままの姿だから。 人間て洞窟の壁画から始まりホントにいろんなものを作ってきた。 当然中には残酷だったり不安をあおったりするものもある。だけどそれも人間の創造の歴史の中で大切なピースなのだ。それは誰かの好き嫌いや多数決で簡単に決められるものじゃない。 美術館で出会えるのは、サファリで言えば象やライオンといった誰にでも分かるカッコいいものから、専門家にしか分からない貴重な種や進化の先端にいるものまでさまざまだ。 理解できないもの、不快なものもあるかもしれないけど目をそらすのはもったいない。 楽しい動物だけ見たい人はサーカスにいけばいい。優れた作品は混沌とした時代を絞るように、蒸留するように、一滴一滴生まれてくる。 今ボクが観たいのは、この災厄の日々から生まれる美しく獰猛な一枚だな。 中日新聞 夕刊 2020.4.6 掲載
2021.04.05 12:00 PM
今、どのメディアも世界中からのコロナのニュースであふれてる。
医師たちの自らを元気づけるようなダンスや、皆が励ましあう様子など「人間ってやっぱりいいな」と思えるニュースの一方、買い占めやそれに伴う諍いなど、人の本性を暴くようなニュースも流れてくる。 そういえば昔「鬼か仏か?」みたいなテーマのマンガを描いた。食えない中年のミュージシャンが街頭でライブしながら「仏として死ぬか?鬼として生きるか?」を自問するマンガだった。 歌では食えない、もうこの歳では働き口もない。このまま真面目な良い人では生きられない、人を騙したり人から盗んだり、悪人になってでも生き抜くべきだろうか?みたいな短編だった。 日本人は震災の時でも暴動など起こらなかった一方で自殺者が多い。 鬼になって人を傷つけず、良い人のまま「仏として死ぬ」ことを選ぶ人が多いのかもしれない。なぜだろう? 良い人だという評判が他国より重要なのか? 豊かさに潰されて「死」に対する本能的な反発が薄れているのか? だいたいホントに身に危険が迫ったらどこまで「仏」でいられるだろう? ただの「トラブル嫌いの臆病」な自分はそんな時どうなるのか? このあとコロナがどんな苦難を強いるか見当もつかないが「鬼か仏か?」などという選択をつきつけられる場面だけはマジでご免だ。
中日新聞 夕刊 2020.3.30 掲載
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