2021年5月 | ||
2021.05.31 12:00 PM
絵を描いていると「美しい」ってなんだろう?と思う。
「美しい」という表現が適切か分からないけど、とりあえず色を選ぶ、線を選ぶ時、指針が欲しくなるのは確かだ。 そこは青く塗るのと赤く塗るのとどちらが美しいか? どのくらいの大きさが美しいか? いつも手探りだ。 例えば夕日を写真で撮ろうとする。夕日ってのはたいてい「美しい」ものだ。 だけどシャッターを押した時「決まった!!」と思える時がある。 山のシルエット、雲のかかり方などが微妙に響きあった時。あれは数多くの美しい夕日の写真の中でもさらに「美しさ」が増したってことだろうか? そう思うと「美しい」って食べ物の「おいしい」と似てるように思えてくる。 料理も、スパイスや食感やさまざまなバランスが響きあって「おいしさ」を増す。 味が決まった時も色が決まった時も頭の中では同じ「パチッ」とパズルが完成したような音が聞こえる気がする。 さらに人や地域によって好みが分かれる「おいしさ」だけど、一方で世界中に通用する基準があって、その多様性と普遍性の両方を持つあたりも、「美しさ」と似ている気がする。 「美しい」も「おいしい」もきっと人間がよりよく「生きる」ことに深く根差してるんだろう。 頭で考えた結果でなく、体の奥から「決まった!!」と声がする絵が描けたらキモチいいだろうな。 中日新聞 夕刊 2020.6.1 掲載
2021.05.24 12:00 PM
どうもこの国はお金の使い方が相当ヘタなんじゃないかと思う。
今から三十年前この国は結構お金持ちだった。ナントカ創生資金で自治体に一億配ったり、マンハッタンで土地買ったり、相当なもんだった。 ああ、あの頃のお金はどこにいったのだろう(遠い目)。 「投資」というのはお金が増えて返ってくるもんだ。 ここ三十年ほどで日本の国内総生産(GDP)は約二倍に増えたが、米国は約四倍、中国は約四十倍だ。 どこにどう使ったらこんなに他の国と差がつくんだろう? もっとコンクリートに使うべきだったか? もっと人間に使うべきだったか? 答えは分からないが他の国に比べてヘタクソだったことだけは確かだ。 そりゃ投資は自分もヘタだ。 何に投資してきたか振り返るとほぼメシだ。お酒飲んでメシばっか食ってた。 メシなんて次の日には体から出ていくんだぞ。最悪の投資先だ。 三十年かけて何トンものウンコに投資してきたかと思うと気が滅入る。 そんな投資のヘタな自分からもスケールのデカいヘタクソに見える日本。 今回そんな日本がコロナからの復活をかけて大々的にお金を使う。 事業規模は百十七兆円。日本経済は消費増税、コロナの拡大、五輪の延期など踏んだり蹴ったりが続くが、この投資で大丈夫か? 今度こそ上手に使えるか? 経済学者信用できるか? ここで失敗したら日本は大きな大きな軍艦島だぞ~。 中日新聞 夕刊 2020.5.25 掲載
2021.05.17 12:00 PM
新型コロナもちょっと収まってきたみたいだね。
でも油断は禁物、この病気は皆が免疫を持つかワクチンが開発されるまで安心できないらしい。 ワクチンかー、つまり弱いウイルスを体内に入れてあらかじめ免疫を作っておくということだね。 なんかそれって子育てとか教育の一部にもあてはまる気がしてきた。 仮に教育が子供を社会に出すための準備だとしたら、いずれ出会う現実の毒性を弱めて経験させておくことはワクチンっぽくないだろうか? 免疫がない子どもは社会に出た時、苦労しそうな気がする。残念ながら現実は理想の社会じゃないからね。 競争も厳しいし、理不尽なことがいっぱい。誰もがいい人ばかりってわけじゃない。 そんな荒野に送り出す前に、免疫をつけさせたい。 だけど気をつけないといけない。そのワクチンが強すぎたら子どもを虐げることになりかねない。 そして何より個人差が大きい。あるストレスが太郎君にはちょうどちょうど良くても次郎君には我慢できなかったりする。 こう考えると一律の教育を施す学校だけでは「ワクチン」は難しいかもね。 そういえば自分は子ども時代、年齢も性格もいろいろな近所の子どもたちが集う神社の境内で、自然にできあがる人間関係やその中での生き方を学んだように思う。 社会に対する免疫を獲得するには、多様な場が大切なのかもしれない。 中日新聞 夕刊 2020.5.18 掲載
2021.05.10 12:00 PM
自分はどうも政治が苦手で特に「右」とか「左」がよくわからない。
まぁ、雑な例えだけど自分たちが乗ってるバスが曲がりくねった山道を走ってるとする。 右に山が迫れば左に、左に崖が迫れば右にハンドルを切る。 大切なのはバスが安全に道の真ん中を走っていくことで、右か左かなんてのはその都度正解は変わる。 なのにどうして多くの人がある人間が右派か左派かばかりを気にするのかよくわからなかった。
だけど最近コロナ禍で、そんなバスの中の声が変わってきた気がする。右も左もなくみんなが揃って悲鳴を上げている。それほど大きな危機だ。 山道は細く曲がりくねりバスはスピードを上げ疾走している。ひとつ間違えば大事故だ。 感染の山を避けようとすれば経済の崖が迫る。遠くを観すぎず近くだけを見すぎず、そして社会の変化の急カーブで振り落とされる人がいないよう、運転手は大胆で慎重で素早い最上級のハンドルさばきを要求されるだろう。 正直今の運転手はイマイチ不安。だってマスク二枚だしなー。 でもきっと大丈夫。僕らのバスは多少の迷走はしても乗客皆でワーワー言いあいポンコツになりながらいつか安全なドライブに戻るだろう。 そしてその時に皆がアクセルやブレーキや、右左のハンドル以外にもいろいろ複雑な政治に関心を持ってたらいいのかもしれない。 中日新聞 夕刊 2020.5.11 掲載
2021.05.03 12:00 PM
緊急事態宣言で家でゴロゴロ成果にジリジリしている時、サッカー選手たちが家でトレーニングしてる動画を見た。
そうかー彼らも試合のない時は家にいるんだな、とその時ふと思った。 そうか今は逆にボクらが「試合中」なんだと。 自粛の強制?スマホでの追跡?など、集団のために個人を縛る状況への戸惑いを、「これは戦争だから」と表現する人もいるけど、自分としてはスポーツの「試合中」と思った方が納得できる。 スポーツ選手だって普段は自由だけど、いざ試合が始まったら個人の自由よりチームの勝利を優先しないといけないよね。 ボクは今、自分を兵士と思うより試合中のプレイヤーだと思いたい。 だけどこれが試合だとすればそれにはいくつかの条件が必要だ。とにかくルールをはっきりしてほしい。 誰が監督で誰がコーチか? 何をするべきで何が許されないのか? どの数字がどうなったら勝利なのか? より犠牲を強いられた人により多く報いる仕組みになっているか? そして何よりズルズル続けずに勝っても敗けてもゲームセットをはっきりすること。 敗けたらすぐ次の試合を次のルールで始めればいい。 スタジアムでスコアボードを背に観るスポーツのように全てがオープンで公正なものになったら皆もっと頑張れる気がする。 だってここで敗けたら日本は世界で下のリーグに格下げだぞ。 中日新聞 夕刊 2020.4.27 掲載
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