在宅の日々、地図を見ながら次はあそこに行こう、あの山を越せばあの温泉だったのか?とか想像して楽しんでた。
自分が今どこにいてどっちに行けば何があるのか?
「地図」は普通に生きてても大切だ。
例えば自分はペンの林と紙の山でできた机の上の地図の中で迷ってるし、マンガとアートの地図で悩んだり、地元のおいしいお店の地図を基に未踏のお店を探検したり、さまざまな地図を頼りに暮らしている。
人によっては会社と家の間の地図だけで足りていたり、そういう人に限って心の中に雄大な地図を広げてたり、人と人との距離で地図を作っていたり、大切なものを中心にした同心円の地図で生きてたり、人はそれぞれ、さまざまな地図を頼りにこの世界を歩き回っているのだと思う。
そんな中で最近、大きな地図が頼りにならないな、と思うようになった。
以前は「自由」や「民主主義」みたいな基本的な理想の「方角」があって、自分たちは回り道をしながらもそこに向かっていけば良いのだと信じていた。
だけど原理主義や強権的なリーダーたちの人気を見ていると必ずしもその地図は正しくなかったのかと不安になってくる。
自分たちはどこに向かえばいいのか?
それぞれの地図を持つのもいい。だけど今世界が信じる大きな世界地図が必要とされてる気がする。
まるで大航海時代みたいだな。
中日新聞 夕刊 2020.6.8 掲載